歴史
1895年9月18日、アメリカ・アイオワ州ダベンポートの町でダニエル・デービッド・パーマー(D.D.パーマー)の「手」によって西洋医学、東洋医学につづく第三の医療としてカイロプラクティックが創始されました。
脊椎を矯正する手技療法は古代エジプトの時代からすでに経験的には行われていましたが、脊柱と神経の関連に着目し、理論体系を築いたのがカイロプラクティックです。
カイロプラクティック誕生の背景には、次のような逸話があります。
D.D.パーマーが磁気治療師として開業していたとき、たまたま彼のオフィスで働いていた、リラード・ハーベイが難聴であることを知り、彼の背骨に大きな歪みを見つけました。そこで、テコの原理を利用し、手でその部位を押してみたところ、「ポキッ」という音とともに歪みが矯正され、リラードの難聴が除々に回復したそうです。
D.D.パーマーは、その偶然のできごとを友人の牧師サミュエル・H・ウィードに話したところ、ギリシャ語で「手」を意味するcheirと「技術」を意味するprakticosを合成した「カイロプラクティック」(chiropractic)という言葉が誕生しました。
カイロプラクティックの創始者
ダニエル・デビッド・パーマー (D.D.パーマー)について
カイロプラクティックの「創始者」D.D.パーマーは、1845年にカナダで生まれ、当時の哲学や科学を独学で学び、1865年にアイオワ州へ移り、教職に就いています。
そして1886年、かねて興味を抱いていた19世紀の哲学をもとに、磁気治療師としての第一歩を踏みだし、マニピュレーションを特定の脊椎部に施して、患者の体質や神経の機能を調整するという治療を行いました。
1896年には、パーマー磁気治療学校を設立。
息子バートレット・ジョシュア・パーマー(B.J.パーマー)にパーマー・カイロプラクティック学校を譲り、その後米国中にいくつものカイロプラクティック学校を設立し、1913年にロサンゼルスで亡くなりました。
パーマーが最も疑問に思ったのは、「なぜ同じ椅子に座ったり、同じ家で暮らしていながら、病気になる人とならない人がいるのだろう?同じ食事をし、同じ空気を吸っていながら、病気がちな人と健康な人がいるのはなぜなのか?」というものでした。
彼はサブラクセーションという言葉を用いて、脊椎の障害が病の根源であると説いています。さらにこの脊椎の不整が神経障害を引き起こすという考えが、パーマーの主張の最も重要な点でした。